☆世界に通用する美しい泳ぎ(実例)

 


先日
オランダのコーチから
「彼の平泳ぎはすばらしい。いったいどこで習ったんだ」という評価をいただいた。とお仕事で、オランダに渉ったご父兄の方からメールがありました。

世界中のどこででも通用する水泳 クリック

基本に忠実な「美しい」水泳  クリック 

  (もっと知りたい場合はここをクリック)

多様化する希望→その人の希望を叶えられる様に指導する  クリック


スイミングクラブは、3つの使命があります。

 

1つは オリンピックを頂点とする競技選手を育てるための指導です。
もう1つは、どの様な子供、どの様な大人にも,その人が持っている最高のパフォーマンスを発揮して貰えるように指導し、水の中で動き回る喜び、その事で手に入れられる心や身体の健康を提供する事です。

水中で楽しさを感じる事はかけがえのないものなのですが、様々な障害に直面して(恐怖心や、他の人に比べ運動力が落ちるなどの理由)それを手に入れる事(水泳練習)を放棄する場合があります。
そうならないために、クラブもコーチも保護者の方も努力する必要があります。

最後の使命は、世界中で通用する泳ぎを指導することです。
生まれた時の資質に関係なく、その人の努力により、それを手に入れるのは可能でしょうか?
ここで、スポーツが持っている根本的な問題、「勝ち負け」が、私達指導者の行く手を阻みます。
勝ち負けを競えば、そこには、努力ではどうにもならない「生まれ持った素質」が現れてきます。
キーワードは「チェンジです」
「世界に通用する泳ぎ」を「速さ」で現すのではないもの、別の尺度に変える必要があります。
それは何でしょうか?

20世紀の終わりに、21世紀はどうなるかを日本体育協会公認上級水泳教師(現在の名称)達と話した事がありました。
飲みながらの会食でしたが、結論は「美と健康」を追求する世紀になるだろと言う事になりました。

尺度を「健康と美しさ」に変えたらどうでしょうか?
「世界に通用する速い泳ぎ」ではなく「世界に通用する美しい泳ぎ」を追求するようにしたらどうでしょう。生まれた素質によらない、競い合いとは違う、別の水泳を目指す事が出来るのではないでしょうか?
健康を追求する水泳についても同じ事が言えます。

速い人はもちろん。速くなりたい人。
それだけではなく、速くなくても、競い合いたいという人もいます。
しかし、勝てないのになぜ競い合うの?競い合う事を目的に練習するのは嫌だ!という人や競い合いそのものに興味がない人もいます。
前者の指導は今までの水泳コンセプトでも出来ると思います。問題は後者の指導コンセプトです。

「美しい泳ぎ」は生まれた時の素質に関係なく、努力さえすれば
だれでもがをマスター出来るものです。水泳とは、歩く事と同じように、根っこの部分にその様な要素を持っている運動なのです。

何をどの様に指導したら、それは可能なのでしょうか?
それはどの様なコーチにでも出来る事なのでしょうか?

そもそも、美しい泳ぎとは、どの様な泳ぎなのでしょう。
誰もが「はっ」とする泳ぎです。と言っても、「確かに、すごいと思うけど、この感動って何!」と感じるだけで、分析や理解は出来ないでしょう。
[切れのある泳ぎ」とか「力強い泳ぎ」あるいは「しなやかさのある泳ぎ」「のびのある泳ぎ」などと表現されますが、とりとめもなく、とらえどころがハッキリしません。どうしたら、自分のモノに出来るのか練習方法の見当が付かないでしょう。

しかし、冒頭に述べましたように、当クラブならそれを身につける事が可能なのです。
一言で言えばそれは
「基本に忠実な泳ぎ」なのです。
基本をしっかり学んで、ポテンシャルを十分に発揮させ、その人の個性にあわせてそれを表現出来るように、することです。ここで大切なのは基本をしっかり身につける為に、努力をする事です。
それは技術と個性の調和です。努力すれば必ず実を結びます。
持って生まれた素質は個性として生きてきます。
他人との競い合いではありませんから、基本を土台に十分個性を伸ばせばいいのです。

では水泳の基本とは、何んでしょうか?

   冒頭の オランダに日本からお父様の仕事の関係で行かれた方からの

メールを読み返すまでもない事ですが、この実例は当クラブの指導が生きた証です。

ナユキスイミングクラブはクラブ発足当時1965年から、
会員である全ての方に、その方が持っているポテンシャルを引き出し、最高のパフォーマンスを発揮出来るように指導して来ました。
最初の15年間は競泳の世界でのことでした。それは、東京オリンピックで水泳が惨敗し、その建て直しのためにスイミングクラブがつくられ、当クラブもその中の一つだったからです。
1980年代からは、目標をその人の生まれ持った素質ではなく、努力により、、最高のパフォーマンスを発揮出来るものに変えて指導してきました。
競泳ではない別の目標を絶えず、探し続けていたのです。

 オランダと言えば風車の国、多くの運河が入り組んで流れていて、水泳は命を助けるために必然的に身に付けなければならないものになっています。
オランダでは、水泳は「速く泳げる事」もさることながら、「命が助かる事」が最優先目的に指導されます。

この事からも、ナユキスイミングクラブの水泳指導はグローバルな見地から見て、世界のどこででも通用するものだと分かります。

 世界のどこででも通用する水泳

を心がけて指導してきた事が証明されたわけです。
ナユキスイミングクラブのコーチは「参加者の健康と幸せのために自己研鑽に励み、水泳を普及してゆく事」を使命に努力しています。
「健康と幸せのために水泳を指導してゆく」この言葉にナユキスイミングクラブの思いが込められています。

1番速くないかも知れない。1番になれないかも知れない。なぜって1番は1人だけなのですから。

しかし、その人が持っている、最高のパフォーマンスを発揮出来るように指導することは、あらゆる意味から重要なのです。
その目標はみんなが「はっ」とするほど「美しい泳ぎ」です。
それは,どの様な人でも、「基本に忠実な水泳」をする努力によって、手に入れる事が出来るのです。

オランダの先生が「彼の平泳ぎはすばらしい。いったいどこで習ったんだ」と言った言葉は私達の指導の支えなのです。
これからもクラブが一つになり

 その人の最高のパフォーマンスを発揮出来るよう
「基本に忠実な水泳」
「世界に通用する美しい水泳」を指導して行きます

 世界には多くの自然があり、(勿論日本にもあります)その中で身体を動かす喜びこそスポーツの醍醐味であるとする文化が急速にグローバル化しています。

2010年頃から日本でもこの傾向は顕著になり、単なるランニングに加えて、山の中を走る事で、自然と1つになりながら、身体を動かすトレールランが競技と離れたところで人々の身体を動かす喜びに一役買っています。
これを競技化して、富山湾から駿河湾に抜ける日本横断のルートで開催されたり湘南の逗子を起点に鎌倉まで或いは茅ヶ崎までのオープンウオーターと言われる遠泳が、自分への挑戦・成し遂げた喜び「達成感」を感じるために開催されたりしています。
これらは、自然との協調・自分への挑戦、なくしては行えません。そして、それは1番を目指さない人たちの心をワクワクさせ、参加したい気持ちに、させるのです。

自分への挑戦。自然を通しての自分との対話。生きている証。そんな表現で、人々は身体を動かします。

もう時代は、その様なスポーツ文化を創り上げつつあるのです。そして人々はそれを必要としているのです。ナユキスイミングクラブはその人の最高のパフォーマンスが表現出来るようにサポートすると同時に、そのパフォーマンスを表現出来る場面が自然の中を走しったり、泳いだりする トレールランやオープンウオーターに見いだせると思っています。

他の人に勝つ。それがスポーツではないのです。自分に勝つ。全力を出せるようにする。
その準備(トレーニング)から表現まで、それがスポーツだと思います。

また、カヌーやダイビング、パラグライダーなど、限界まで身体を動かすのではなく心の感動を求めてするスポーツもあります。
これからは 心の感動を求めて、様々な行為が身体を動かす事と結びついてゆくと考えられます。
先程と同様に、その準備(トレーニング)から表現まで、それがスポーツだと思います。

これからのナユキスイミングクラブの課題は何でしょうか?

人それぞれに、身体を動かす目的は違います。ますます人々の要求は多様化して行くでしょう。
「そんなハードな目的で水泳指導を受けているのではないよ」と言う方もいらしゃると思います。
逆に、「もっともっと、がんばれる。厳しく鍛えて欲しい。」と希望される方もいるでしょう。(この様に希望される方に 注意事項があります。ここをクリック)

 水泳指導を受けている=思い

をナユキスイミングクラブは拾い続けるようにいつも努力しています。

 会員の方がそれぞれの気持ちをコーチに言える環境をナユキスイミングクラブが持てるかどうか?

 会員の方の要求に応えられるかどうか?

 この方はどういう気持ちで練習に参加して下さっているのだろうか?

 以上の問いを絶えず発し続けられるかどうか?

それらが課題だと思います。

以上 文責 日本体育協会・日本水泳連盟・日本スイミングクラブ協会
公認上級水泳教師マスター
ナユキスイミングクラブ&ペンギン倶楽部代表 名雪正彦
2012年3月


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